私が治療系の仕事に携わることになった直接のきっかけは、親戚が接骨院をやっていたことです。子供のころにはよく肘が抜けたり(専門的には肘内障といいます)、学生時代には部活のバレーボールで手首を骨折したりで、治療の世界は、私にとっては割りと馴染みのある世界でした。また大学時代に走る魅力に取りつかれて、同好会で皇居の周りを走ったり、市民マラソンの大会に出たりするうちに、気持ちと体、コンディショニングということに、とても興味を持つようになり勉強するようになっていました。
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卒業後はまったく関係ない業種のサラリーマンを3年間やった後、どうしても治療系の仕事がしたくて仕事を辞め、親戚に頼み込んで接骨院に勤めさせてもらいました。
雑用と施術補助をしながら1年間受験準備をして、'86、日本柔道整復専門学校(接骨院の先生になるための学校)夜間部に入学しました。人間って興味のあることは一生懸命やるもんですね、(大学時代は試験のときしか勉強なんてしなかったのですが・・・)、昼間は接骨院に勤務しながら、がんばって勉強して(自分で言うのもなんですが)'89優秀な成績で卒業し(賞を貰いました~)、国家資格試験にも合格、晴れて柔道整復師(接骨の先生)の資格を取得しました。
その後、整形外科、接骨院に勤務し、'91愛妻・久美子と結婚、勢いに乗って'92東京都町田市つくし野に松村接骨院開院、さらに'93長女・純恋(すみれ)誕生。患者さんとのコミュニケーションもとれ、順風満帆、絵に描いたような幸せ家族でした。
ところが'95妻が胃癌を発病、全摘手術、'98当時5歳(幼稚園年中)の純恋と私を残して旅立っていきました。呆然自失、何がどうなったんだか、何をどうすればいいのか、しばらくは全く考えられない状態でした。しかし妻との約束、子供の存在、そして多くの方々に支えていただいて、人生最大の難関を何とか乗り越えることができました。
私は開業前から研鑽を積むために、いろいろな治療法のセミナーに参加していましたが、妻の発病をきっかけに、さらにさまざまな治療法の勉強会やセミナーに参加しました。妻が亡くなって3年くらいは、もう狂ったようにセミナーに行ったり本やビデオで学んだりしました。
世間には本当に多くの治療法、治療術とよばれるものがあります。多くの技術、テクニックがあります。玉石混交まさにさまざまです。
そんな中で多くの臨床を通してやっと分かったことは、誤解を招きやすい言い方かもしれませんが、それは、『治る患者さんは自分で治っていく』ということです。
自然治癒力などと言われていますが、私はこの力を『健康力』と呼んでいます。この文章を読んでいらっしゃるあなたには健康力があります、必ずあります。
私にできることは、あなたの健康力がうまく発揮できるようにお手伝いすることです。
この考えのもとに、'03,1月、保険診療でいろいろと制約の多い接骨院をやめて、筋整堂松村整復院としてスタートしました。(現在は筋整堂は無しの松村整復院です。)
現在も沢山の方に支えられて、日々の施術にあたっています。ご縁あって来ていただいている皆様への責任として、常に最善の施術を提供いたします。
(これは娘が小学校4年生のときです)